円い樹とスコップナイト

西洋占星術と共に

誤読対策

仕事で単純なミスをして、自分の無能さに愕然としている時に思ったんですが、占星術のミスって、誰が指摘してくれるんでしょうか。

 

よく考えてみればバカバカしいと思えるぐらいの浅いミスでも、場合によっては致命的な問題に発展してしまったりします。あまりに程度が低いミスであるがゆえに第三者のチェックも通過してしまいます。気付いた時には自己嫌悪と申し訳なさで、口を開くと謝罪の言葉しか出てこない。


占星術についても、同じようなことは起こり得るわけです。扱うのは生身の人間。誤りを犯さない人間なんていません。セルフチェックにも限界があります。

占星術の計算が誤っていたり、誤解があったりすると、それに従って誤った判断を下すことになります。大問題です。一体誰がそれに気付かせてくれるのか。

 

と、もっともらしい話のようになりましたが、この話は続くようで続きません。

そもそも、一般的なお仕事と占星術を、同列に並べること自体がよろしくないと思うのです。

 

 

というのも、一般的なお仕事の場合は、「正しい」計算方法や考え方、「正しい」根拠というものについて、ある程度広く合意が得られた状態にあります。アカデミックな機関や法律など、公的な後ろ盾があったりもします。何を善しとし、何を悪しとするか、そのへんをそれなりに明白にする仕組みを持ち、さらにそれを教育し広めたり、罰したりする体制が整っています。

 

一方、現代の占星術に関しては、それと同程度のものは存在しません。

その昔には、占星術と政治が切り離せない時代や、学問として必修だった時代というのもあったりしたようですが、今は占星術の正当性自体が認められているとは言いがたいです。
強いて言うなら、「当たる」とか「人気の」占い師がいて、その人の言うことは的を得ているのだという印象を広める商業的な体制は整っていると言えるかもしれません。しかしそれも、結局のところは、公的には「占い(嘲笑)」の一言で一蹴されることです。

 

断っておきますが私はただの占星術オタクです。ソロ活動メインの宅録派で、何の権力もないし同志もいませんが、一人の占星術愛好家です。

他人様に占われることに興味がなく、いろんなことを自分で占うのが一番楽しいと思っています。

 

だから私なりに方々で調べたり、ものの本で読んだ限りの話ですが、内部でも非常に多種多様な手法があり、これぞ覇権というような派閥は存在しないようです。地域によって、これが多数派というのはありそうですが、いずれにしてもこれが「正しい」と決める大きな覇権や、仕組みはないようです。「正しい」ことがないなら、「間違った」ことも存在しないということになります。さらに、そういう考えに同意する人もいれば、異論を持つ人もいるようです。

 

いずれにせよ、ミスを指摘するような大義名分が内外に確立していないがために、誰も他人のやることを公然と否定も肯定もできないという状況にあるわけです。

 

そういった点から見て、一般的なお仕事のような領域と占星術とを、同列に考えることには無理があるし、それをやってもあまりいいことがないのだろうと思うのです。

 

 

 

ひとつ例を挙げます。

 

某芸能人が、「○○協会認定(外国の某国)」の占星術の先生にホロスコープを読んでもらうというTV番組がありました。
興味津々で聞いていると、その人の生年月日ではありえない月サインを示してお話されていたので、疑問に思って確かめてみると、やはりありえない。ためしに、1年ずらすと一致したので、これは占星術ソフトの設定を間違えたのでは?とも思ったのですが、しかしよく考えてみると必ずしも間違いとは言い切れないのです。

 

私の知っている占星術のセオリーでは間違っているけれど、この先生はそれとは別の手法を使っておられるのかもしれないからです。でも、どんな手法によって計算し、判断し、発言されているのかは明らかにされていないので、この先生にとってこれが正解なのかどうかを第三者が検証することはできません。

だから単なる占星術オタクの私はこの先生に何も言えないし、占星術に興味のない一般的な視聴者は、そもそも何も言うことが見つけられません。

 

さらに言うと、私は自分のことを占星術オタクだとか言って、セオリーではどうだとか分かったようなことを言っているけれども、それを自称することを誰にも許可されていません。そんなんで占星術好きを自称すんなと言う人もいるかもしれないし、私はそれを否定できません。だけど、これこそが真の『占星術』だ、と全世界に向けて明示して、公に同意を得ている人を私は知りません。

するとつまり、『占星術』ってなんなんだっていう気分になってきますね。

 

 

こういった明白な「正誤」とはまた別に、倫理的にどうなのかという意味での「正しさ」「間違い」というのもあるかと思います。

 

たとえば、「占い(嘲笑)」という評価は確かに同意できる部分もあるけれど、古く長くも紆余曲折した、深い歴史を持つ占星術という人類の営みに対して、まったく敬意を払わないというのは倫理的に正しいのかどうかとか。

たとえば、「占星術」という看板を借りて、ただ自分の好き嫌いでものを言うための隠れ蓑にするような行為は倫理的にどうなのかとか。

そういう正誤については、指摘をしやすいかもしれないです。 でも修正のための指摘というより、議論をするための指摘になるわけで、また別もののように思えます。

 

 

収集つかなくなってきたので、このへんでたたみます。

 

無駄に長い風呂敷広げといて何言ってんだって話ですが、そもそも、「占星術でモノを考えること自体が根本的な誤り」とするのが結局、一般的には妥当な考え方だと思います。

 

それを認めた上で、私は「占星術で(も)モノを考えたい」から愛好しています。

占星術を世界に広めたいとは思わないし、自分だけが浸れる閉鎖的な思考世界に閉じこもっていたいとも思いません。

 

Q.「誰が占星術のミスを指摘してくれるのか?」という問いに話を戻します。

これは要は私自身の能力に対する不信や不安から出たものです。まあ仕事でミスって弱ってたんですね。

 

ならば早い話が、

A.「何の担保もない占星術を扱うのは自己責任なのだから、誰がミスを指摘してくれるのか、とか抜かしてもね、誰もおまえを助けることは出来ないんだよ甘えんな。」

 

というのが、一つの答えになりそうです。

はい、気を引き締めていきたいとおもいます。