円い樹とスコップナイト

西洋占星術と共に

文化的好み 追記

前回の追記です。

 

「バンドメンバー4人を繋ぐシナストリ上の軸に、私のネイタルは関わりが薄い!なのにどうして興味引かれるのか?」

「それって、出会った時のタイミング的なところでしか説明が出来ないのではないか?」

といった記事を書きました。


でもこれ、浅はかでした。

よく考えてみたらですね、シナストリ上の関わりが薄いのって当然と言えば当然なのです。私がそのバンドメンバーに対して、人間関係上の接触を取ることってありえないわけですからね。


実際、バンドとしての活動に興味はあっても、メンバー個々人にはあまり興味がないので、チャート的にも納得という感じはします。

これが職場の人とかだと、結構ガッチリとシナストリ上で絡んでいたりするのですが。

 


 


さて

 

気を取り直して、バンドとしてのコンポジットチャートと自分のチャートを重ねてみたところ、多くの強い関わりがありました。

 

思い出せずにいた出会った時期についても、おぼろげな記憶をなんとか手繰り寄せてある程度特定し、ソーラーリターンなどで見てみましたら、興味を持つのも納得の結果でした。

その時の時期的な雰囲気と、私とそのグループとの関係性が類似しているのですよ。
もうひとつ別のバンドで、これは出会った時期をはっきり覚えているバンドがあるのですが、このグループに関しても同じことが言えました。

 

ただし、こちらのグループに関しては、過去の音源を今聞いても良いと思わないですし、再結成しているので試聴はしましたが、興味をひかれませんでした。

これを占星術的に説明してみるならば、グループのコンポジットに対する私のネイタルの関係性が弱いというのと、出会った時の興味の惹かれ方が一時的なもののように思われるリターン図だったというのが背景にあると言えそうです。

 


 


グループのコンポジットは架空のチャートなので、個人としては実在しない、人工的なチャートなわけです。
でもそれぞれ別々の事情を持った個々人が、別々の人生を生きる過程で出会い、自発的にグループとして行動を共にし、そこに出来上がる架空のチャートが、また別の人の行動を左右したり、心を動かしたりもするのです。それで、さらに別のグループが出来上がったりもするでしょうね。

そこには壮大なロマンがあると思います。